We alwaysのボツにしたレイちゃん短文に加筆修正した文章を供養としてうp。 おいおいおじいちゃーん!?と言いたくなる時もありますが、 あの明るさがやっぱりふっと心を軽くした時もあったんじゃないかなーって。 腕の中にすっぽり収まってしまうぐらいのその体からどうやったらそんな大きな声で泣けるのだろうと思うぐらいの声で、赤ん坊が泣いている。 絹より柔らかで日につやつや輝く深い紫がかった黒髪も、眉も目も鼻も唇も、なにもかも手より小さい顔を、それはもうくしゃくしゃなんてもんじゃない、ぐちゃぐちゃにして。 もうかれこれ三十分はこんな風にわんわん泣いている。 ミルクでもない、どこかかゆい所がある訳でも、いたい所がある訳でもどうもないらしい。 おお、よしよし、と声をかけて揺らしたりしても一向に泣きやむ気配はなく、駄目で元々、ほうら、と高く持ち上げるとますますひどく泣きだしてしまった。 ええと、あとは何をやったらいいか、と必死に遠い遠い昔の記憶を引っ張り出してこようとするがとんと浮かばない。 こうなったらどこか奥深くに仕舞い込まれた育児書でも探そうか、そう考え始めた時、ただいまー、と声がする。どうやら帰ってきたらしい。 出掛ける前に、任せておけ、お前は買い物に一時間でも二時間でも行ってきなさい、とどんと胸を叩き大見得をきった手前、 なんとかしてやりたかったがそうも言ってられない。どっち道老いぼれの耳にもわんわん響く泣き声は外まで聞こえているはずである。 玄関まで急いで行くと、言訳けする間も頼むと言う間もなく、はいはい、と見事な手つきにされるがままにそっと渡してしまった。 腕の中でいよいよ天井どころか空まで突き破らんばかりの声に、怯むことも動じることもなく、 どうしたのかしらね?と聞き出すように声をかけながら、ぽんぽんと背中を叩く。 そうしてお尻の辺りをそっとなでると、どうやらぴんときたらしい。 ともすれば顔に当たりそうにぶんぶん暴れる手足をいなし、そっと畳に寝かしつけたところで、やっとこちらもぴんとくる。 手際良く用意し始めた背中に、やろうか、と声をかけると即、女の子ですもの、さ、出てって出てって、と断られてしまった。 仕方なしに襖の向こう側へ退散すると、あれよあれよと言う前にわんわん声はあーんあん。 静かになったと思ったら、きゃっきゃっとくすぐったそうな声に早変わりしてしまった。 頃合いを見計らって襖から顔をのぞかせると、大人しく涙を拭かれている。そして細い指の手櫛でさっさと髪を整えられて、ぐちゃぐちゃだった頭も顔もすっかりきれいになってしまった。 その抱き方も、背のさすり方も、涙の拭き方も瓢箪に釣り鐘、駿河の富士と一里塚、月とすっぽんである。 こんなにも違うものだったか知らん、そう思いながら、うむう、と思案顔をしていると、子守りありがとう、とあっさり感謝を述べられてしまった。 ぽり、とかゆくもない頬をかいて部屋に入り、隣に座って早々、すっかり調子の出てきた小さな手が、確かめるように、だ、だ、と声をあげて頬をたたく。 にんまりと口のはしっこをあげて、ばあ、と口を開けるとまだよく分からないのか、びいどろのまあるい目の玉はきょとんとしている。 ならばこれはどうだと自分の頬を指でひっぱったり、押しやったり、つりあげたり、つまんだりはさんだり、つねったりねじったり、 とにかく手を変え品を変え、とっておきに舌をべえっと突き出すと、びいどろの奥からくすくすと声がもれた。 なんじゃい、と指を使わずに目と眉をつりあげても声は止まない。 「だって、おかしいんだもの」 「言っとくがの」 言いかけると、分かってます分かってます、重々、百も承知と言わんばかりにこくこくうなずく。 「でも見たことのない顔してるんだもの、お父さん」 と、やわらかく目尻をさげた娘に、よく分からないままつられて声をあげる孫娘の姿に、拗ねた気持もどこへやら。 もういいわい、といじけた下手な芝居を打ってどちらともなくくつくつと肩を震わせ合う。 老いぼれの頬を確かめることに飽いた孫娘が今度は母の指を確かめるのに夢中になったのを見て、ふと尋ねる。 「あの男はちっとでも帰るか?」 娘はふる、と小さく頭を振る。 しょうのないやつじゃの、そう呟くと、その言葉に丸い頭がちいさくかしいだのに笑いながら、娘は少しだけ眉を寄せる。 「お仕事ですもの」 「そうは言ってもの」 もちっとやりようがあるんじゃないか、そう続ける前に朱に薄づいた頬を撫でる指が目に入る。 真白い産着の色とまるで遜色のない肌の色。つり針のように曲げた指に一筋浮かぶ青藍が、頬の朱と相まって造り物のように映えて。 声を出す前に、くすぐったそうに身をよじらせた頬が、指の腹を包む。 それだけでくしゃりと破顔した娘の顔に、腹の言葉は霧のように散って、霞の如く消え失せてしまった。 昔と比べ、随分後ろへと下がってしまった額をぴしゃりと叩く。 「のう」 はい、と短い返事に、一つ、きいた。 「さみしくないか」 そう長くはない沈黙に、う?と不思議そうな声を出して、おもたい頭をひっくり返しそうに母の顔を見上げた孫娘は、そのまま体ごと身を預ける。 あらあら、と小さく言いながら。 絹のように柔らかい鴉のぬれ羽色した髪。一心に見つめてくるびいどろの目の玉。白い小石のようにまるい鼻。花弁のような丹唇。 ひとつひとつ、丁寧に視線を娘は注ぐ。ゆるやかにうねった夕日をたたえた黒髪が肩から滑り落ち、鼻先をくすぐる。ふあ、と小さな口が開いたかと思ったが、むにゃむにゃと閉じてしまった。 うむう、と小難しそうにしかめた顔に、娘は眉を下げる。拗ねた顔と、ゆるやかにうねる髪とはまるで正反対の真っ直ぐな髪を梳いて、娘は目を細めた。 「私には、この子がいるもの」 ね?という声に返事をするように、だあ、と鈴の音色の声が上がる。 その姿にやはりまた何も言えずにいると、もみじの手が、ぴしゃん、とまぬけな音を立てて、老いぼれの額をなでる。 春の星空のようにきらめくびいどろの目の玉、申し訳程度に生えた眉、小指よりも小さい唇が、ぱっと開く。 それはきっと、偶然である。 母の腕に抱かれた心地良さに虫の居所をゆらゆら揺すぶられたのかもしれないし、 法則も規則も皆目見当がつかない赤子によくある気まぐれなのかもしれないし、かあ、と鳴いたカラスの声が面白おかしく琴線をくすぐったのかもしれないし、 ふと大昔の思い出でも思い出したのかもしれないし、もしかしたらこの老いぼれには見えぬ聞こえぬ感じれぬ、そんなものが背中にいるのかもしれない。 偶然ならば偶然で。 老いぼれの勘違い、都合良さ、贔屓目、子煩悩ならぬ孫煩悩だと、馬鹿にしたければ馬鹿にしろ。 それでも今この子は、儂の禿頭をぴちゃんとなで、ちゃーんと目と目を合わせて、舌ったらずに、おじちゃ、と呼んだ。 そうして、お父さんもね、と言った娘にうなずくようにして、。 なんじゃいこんな朝早くから。ええ?ああー、そうじゃったそうじゃった。今日から女子大生だったのう。 むふふ、わしも大学一緒に行こうかのー。若い娘さんとおべんきょー…じょ、じょーくじょーく。 ああほれぼやぼやしてると遅刻するぞ。分かっとる分かっとる。こっちのことは任せなさい。わしゃこの道云十年の大ベテランじゃぞ。 …え?ナンパの間違いじゃないかって? な、なーにを言っとるか、別にお前が居ない間かーわいい子に声かけよーとか街に出て若い娘さんとスキンシップーなんてこれっぽっちも…じょ、じょーくじょーく。 シャレじゃよシャレ。なーに老いぼれの戯言じゃ。ほれ本当に遅刻してしまうぞ。 分かっとる分かっとる。昼が冷蔵庫にあるのも、今日のやることもちゃあんとこの頭に入っとるよ。見た目は寂しいがの。 わはは。わしゃ生涯現役じゃよ。 「…それじゃ、おじいちゃん」 「おう」 こっくりと頷くと、鴉の濡れ羽色した髪が風になびく。ううむ、うらやましいぐらいの艶と量。 とんとんと小気味の良い拍子で石段を五段も降りた所でやっとその背が下になる。 段々と小さくなる姿に、ふと思い立った。 「レーイ!」 くるりと振り返って、何かあったのかと慌ててこっちに戻りかける素直な孫娘ににんまりと口の端をつりあげて、これでもかと声を張り上げた。 「お土産よろしくのー!」 途端がくっと肩を落とし、きっ、とこちらを見たものの、あんまりにも馬鹿馬鹿しくて呆れてものが言えないのか、やれやれと眉を下げる。 軽く手をあげてから、今度こそ向かい出した。 その姿が見えなくなるまで、ひらひらと手を振る。 わしはお前の、たったひとりのおじいちゃんじゃ。 でもお前のお母さんや、お父さんの代わりには、逆立ちしたってなれんじゃろ。 だけどこんな風にこの神社を、お前が帰る場所の、一つぐらいにはしておくから。 もう聞こえないだろうけど、それでもつぶやいた。 「いってらっしゃい」 孫が来てから、もう何度目かの春。 どこからともなく舞ってきた桜が、つるりと頭をなでた。
by nominingen
| 2013-10-21 21:58
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