ねこ

ぽん、とネタが浮かんだのでつらつら。
やっとブログにあげられる話が出来ました。

亜美ちゃんとみんなと猫のお話。





連れられた雑貨屋さんで、あるいは路地裏、誰かの家の窓や公園のベンチ。
それらしい姿が見えるとつい視線を向けてしまうのはしなやかなあの曲線、
宝石のような瞳に、するりと滑る尻尾。
人と比べ小さなあの体が、何倍もの高さのある木や壁や建物から降りる瞬間、
頭しか入らないような隙間にいとも簡単に体をいれる、あの柔らかさ。
それに初めて触れることが出来たのは、両親とある小道を歩いていた日だった。
なんの前触れもなく現れたその猫は、私を見ると調べるようにピンクの鼻をひくひく震わし、
にぃ、と一つ鳴いて近付いてきた。
戸惑う私の指を丸い瞳が見つめて、小さな額でこつりと軽く打つ。一回、二回、三回。
どうしたらいいのか分からずに両親を見上げると二人とも微笑み、猫が瞳を細めてようやく、私は手を伸ばした。
大きな耳、その後ろ。耳も柔らかくて、それからぴくぴくと動き、中も綺麗なピンク色をしていると知った。
家の毛布よりすべすべしていて、それに温かい。少ない力でも押せばどこまでも沈んでいきそう。
けれど筋肉のみなぎる力はやわくはっきりと指を押し返す。
すごい。すごい。
首から顎へと指が移動しようとした瞬間、するりと猫は私の手を離れた。
声をあげるまもなく、猫はにぃ、とまた一つ鳴くと、どこかへと行ってしまった。
行っちゃったね、というパパに、うん、と言いながら私はじっと手を見ながら、空に散っていくあたたかさと感触を覚えようと必死だった。
帰りましょう、とママに手をひかれながら、また会えるだろうかとそればかり考えた。

私が初めて本の外で会った猫は、そんな風に突然現れて、突然消えていった。




「亜美ちゃんてほんと猫が好きなんだね」

丁度春の陽気のようなかろやかな声に、はた、と気付く。
一緒に買い出しに来たみんなと距離が離れて数歩。
立ち止まらなかったものの路地裏にごろりと寝転んだ猫に気を取られて歩くのが遅くなっていたようだ。

「ご、ごめんなさい、つい」

冬は寒く、日も落ちるのが早いからと早め早めの買い出しと帰りを提案したのは自分なのに。
その言葉にぷるぷるとうさぎは首を振り、んーん、と人好きのする顔で笑う。
ただほんとに好きなんだなー、って、と続けたうさぎの言葉にうんうんと全員が頷く。
特に隠すことなく猫が好きだと言っているけれど、そんなにしみじみ頷かれるほどだろうか、
と亜美は苦笑する。
勉強会も兼ねた神社でのお泊まり。朝から神社にお邪魔をして、勉強をして、それから夕飯の買い出しに五人は来ていた。
ルナとアルテミスはお留守番。必要なものから、そうでもないもの、好きなお菓子や、他愛ないおしゃべりをしながら終えた買い物の帰り。
視界の端にうつった特有の動きとその形状を目で追ってしまった。
遅くなるのもいけない、そう思って距離を縮めようとすると、むしろみんなの方からこちらに近づいてくる。
私を囲むように立ったみんなは路地裏を覗いて、可愛いねー、気持ち良さそー、黒猫だー、とそれぞれ感想を述べる。
どうやら帰る事より猫の方に意識がシフトしてしまったらしい。
うさぎは屈むと誘うように手を出す。

「おいでおいでー」

その声が自分に向けられたものだと分っているのかいないのか、猫は変わらず動かない。

「ありゃ、振られちゃった」

ぱたり、と手を力なく落とし引っ込めたうさぎにまあまあ、
と励ますようにまことは笑うと、あれ?と首を傾げる。

「でもしっぽ振ってる…ていうか、なんか地面にぺしぺししてる」
「本当ね」

どうしたのかしら、と続けるレイに、それって、と美奈子がにこやかに答える。

「しっぽでお返事してるのよ。聞こえてるよーって」
「昨日のテレビでやってたやつ?」
「あら、うさぎちゃんも見てたの?」
「うん。でも途中から進吾のやつが――」

あ。と言う間に猫は起き上がると路地裏の影へと向かう。壁からするんとのぞいた尻尾は黒と、たぶん白の二本。
それで納得がいく。

「どうしちゃったのかなー突然」

うさぎの言葉に、亜美は殆ど思考せず答えていた。

「あの子、呼ばれたんじゃないかしら」




小道へ行った。ママと一緒に。
小道へ行った。パパと一緒に。
小道へ行った。ひとりで。
小道へ行った。三人で。いつもの歩く速さで、通り過ぎた。
小道へ行った。もう一度ひとりで。
待った。もうすこし。あとちょっと。もう五分。十分。二十分。三十分。
パパとママを心配をさせる前に、帰った。

タイミングが合わなかったのか、遠くへ行ってしまったのかは分らないけど。

猫にはもう、会えなかった。




自分のものより温かい体温を側に感じて、亜美は顔をあげた。
左隣を見ると自分を心配そうに見上げるルナがいた。
どうやらぼんやりしていたようだ。大丈夫?と小首を傾げるルナに、ええ、と笑顔をつくって返す。
体調が悪い訳ではない。かといって、重大な思索に耽っていたという訳でもない。
少し昔を思い出していただけなのだ。
そう?と深くは問わずにルナは、それじゃああたしアルテミスの手伝いがあるから、とレイの部屋に戻っていく。
妖魔のデータをまとめる作業。本来なら私も手伝うのは当然なのだけれど、
亜美は美奈子とうさぎがはしゃぎすぎないか見ててくれないか、とアルテミスに頼まれていた。
その気遣いに素直に甘えることにして、私は焼き芋を焼くみんなと一緒にいる。
秋の陽に照らされて深紫に近い黒い体のあちこちが、赤紫色の光にきらきらと点滅する。
その輝きと、なめらかな肌触り。猫がビロードとよく表現されるのはその為なんだろう。
綺麗だな、と思っていると、空を滑るように降りてきた黒が二つ現れる。
二三大きく羽ばたいて、ふわりと一直線に、レイの下へと着地する。
フォボスとディモスだ。二人ともどうしたの、そう言いながらレイは左手で二人を撫でる。
小さな頭をその手にくり、とすりつけてくる動きに、くすぐったそうにレイは肩をすくめて、
それから私の視線に気づき、どうしたの?と不思議そうに小首を傾げる。
言われて、ええと、と少しどもる。後ろめたい事でもないのだけれど。
嘘をついても仕方ない。

「…羨ましいなって」

きょとん、とレイは目を丸くした。予想していたけれど、やはり驚かれた。

「あたし?」

自分自身を指さしたレイに頷く。レイの言葉は正確ではないが、正解だから。
それでますます首をひねるのも当然だろう。あまりにも説明不足だ。
考えて、遠回りに聞こえるかもしれないと思ったが、意を決し口を開く。

「…私ね、猫の言葉が話せたらって思った時があったの。
 そしたら猫とお話出来るのにって」

あら、素敵じゃない、そう言うレイに、亜美は控え目に微笑む。
そう、素敵だ。猫の言葉が話せたのなら。話が出来たのなら。
けれど、どこを探しても猫の言葉を話せる人間はいなかったし、本も存在しなかった。
少なくとも、幼かった私の手の届く範囲には。
増えていく知識とともに、人同士でさえ沢山の言語があると知った。
一生かけて学びきれるかどうか。そう感じるほどの数。
今自分が使う言語に限定したって、響きの多彩さに目も眩むような錯覚を覚える時もあるのに。
最先端の研究が、猫の言葉の大意を掴んだとしても、今だ人は猫の言葉を話せない。

「うさぎちゃんと出会って、ルナと話をして。
 それが嬉しかった反面、私はやっぱり猫の言葉を話せないのねって思ったわ」

ルナは猫で、私と話が出来る。
けれどそれは私の使う言語を、彼女が使ってくれているからだ。
レイは、カラスの言葉を話せる訳ではない。フォボスとディモスも、私達の言葉を話せる訳ではない。
でも、と。レイに自身を吐露して尚更素直に、亜美は羨ましいと、思う。

「レイちゃん、二人の気持ちが分かるでしょう?」

例えばお腹が空いたとか。そんな些細なことから、悲しむレイに寄りそうことまで。
彼女がフォボスとディモスを、二匹と呼ぶことをせずに。
二人と呼ぶことが、何よりの証拠だと、そう思う。
ふわりと目の前に流れてきた枯れ葉の煙を辿ると、その先にはまことがいて、美奈子がいて、うさぎがいる。
率先して枯れ葉の中をつつくまことの格好はジーンズにジャンパーだ。
焼き芋をやろうと事前に聞いていたから、彼女はスカートではなく動きやすいそれを選んだのだろう。
いつものようにスカートを履いた美奈子はさりげなくうさぎを火の近くから遠ざけ、
うさぎはまこちゃん代わろうか?と、聞いている。
亜美は目を細める。眩しいと、思った。

もし私が、猫の言葉を話せたら。

またねって。この小道でって。あの子の言葉で言えただろう。
話せなかったとしても。
ほんの少しでも、自分に。レイのような、いや、みんなのような。
相手の気持ちが分る、そんな力が、あったのなら。
けれどそれは所謂、ないものねだりなのだろう。
ごめんなさい、こんな話。
そう言おうとした亜美が口を開く前に、ほんの少し眉を寄せたレイが笑う。
仕方ないなぁ、と怒った彼女がうさぎを許す一瞬前の柔らかい表情とよく似ていて。

「確かに、難しいのかもしれないけど」

そう言って区切る言葉と、表情が。
ほんの少しだけ遠慮がちなのは、気恥ずかしさから普段は隠そうと努める彼女の優しさからだ。

「でもそれって、亜美ちゃんが思うほど難しくないわ」

相手を分かろうとして。伝えようとして。
そうすると、なんとなくでも分かるし、伝わるわ。
寄りそう二人を、レイの指がゆるくなでる。二人の思慕と、信頼に、それ以上のいとしさが込められているような。

「それに、あたしよりそういうのが得意なの、近くにいるでしょう?」

レイの視線の先。いつも私達が集まる、その中心。いつでもあたたかく迎えてくれる、中心。
それは信じる努力のいらない答え。
空いていたレイの右の五指が一緒になって、猫の瞳のように丸くあたたかい手のひらへと変わり、
それから私の頭の上へと置かれる。
そのまま形に沿うように動いて、そして髪を梳くように指が櫛のようになって、猫みたいに柔らかいのね、
とレイが笑う。
温度と、それ以上の思いやりが込められた手だった。
ふとこちらを見たうさぎが、声をあげる前に。
少し煙が目に染みたのだと、亜美はほほ笑んだ。



おいしいごはんも、あったかくてふわふわの毛もなかったのに。

どうしてあの子は私のところに来たのかな。

パパはそうだなあ、と少し考える。それから、亜美はどう思う?と私にきいた。
私は考える。考える。でも、答えは出ない。分らない。
ママもそうね、と少し考える。
それから、猫さんに聞いた訳じゃないけどね、と私を見つめた。




亜美は困っていた。

「みんな!遅れてごめ――「「「しーっ!」」」

遅れてきたうさぎに反応も出来ず、三人が口を揃えた静かに!の言葉に苦笑しか出来ない。
膝の上には猫。待ち合わせに早く来過ぎて、本を読んでいたら、いつのまにかいて。
まことに声をかけられて、やっとそれに気づいたのだ。

「かーわいいー…!」
「亜美ちゃんあたしが来るまで気づかなかったんだって」
「すごい集中力よね、ほんと」
「そういうの、一心ふりんって言うのよね」
「いや不倫はダメだよ美奈子ちゃん」

あれ?違う?、違う違うそれにやっぱり一人の人をさ…そんなテンポのいい会話が続いて言葉の間違いからどんどん離れていく。
正しくは一心不乱、と正解が頭に浮かんだが機を逃した上に碌に身動きがとれなくて、
いよいよ亜美は困り果てた。
このあとみんなでおでかけするのに。予定していた電車の時間も近づいているし、そろそろ足も痺れてきた。
それにやっぱり、みんなの意識が当初の目的からずれていっている。
いつ切り出そうかしら、そう悩み始めると、うさぎがふわりと亜美に微笑んだ。
いつかの、母のように。

「きっと亜美ちゃんのこと好きなんだね」
『きっと亜美のことが好きだったんじゃないかしら』

鮮明な今と薄れていた過去が重なり、現れて。
丸い瞳を細くしてひげを震わせた猫が、にぃ、と鳴いた。
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by nominingen | 2013-01-26 13:26 | 内部


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